ユリゴコロ
現在と過去、過去というかノートに記された内容をなぞって"今"と"あの時"を行き来する。
ノートの内容の真偽もあるが、一体誰が書いたもので、なぜそこにあったかを考えると、徐々にその全貌の輪郭が見えてくるわけだが、これといってややこしいトリックはないのに、ズブっと世界観に嵌らされてしまった。
謎解き的な部分や、想像力を掻き立ててこれからどうなる!?なんてドキドキすることはない。その必要が無い。主人公は概ね読み手の意思に沿って動く。まぁ、最後の方まではノートを読むだけなのだけれど。それで十分。
一見、狂気的な、産まれながらの殺人者であるノートの筆者の恐ろしい手記に恐怖する話かと思ったら、読後に感じたのは全く違ったもので、悲しく哀しく、ただ自らのユリゴコロに翻弄された1人の人間と、それを愛したアナタの、純愛の話なのだと私は感じて止まない。
個人的には終わり方もかなり好みだった。
というか先立って述べたように、主人公に限らずなかなかに読み手のして欲しい方、こうあって欲しい方にちゃんと物語が動くのだ。
万人が万人そうでないとしても、共感を得られる方が僅かでもいれば幸いである。
湖底のまつり
あぁ、そうか、そう言うことか。
あまりこう言う類の罠に嵌められた経験もなく、まんまとハマってしまった。
少し想像力が追いつかないところもある。
ただ、いつハマるのかいつハマるのかと足りないピースを探していて、眼前のピースが裏返っていることに気づかなかった気分だ。
どこに、そして誰に着目すべきか。全体を俯瞰しているだけではわからないこともある。
豆の上で眠る
主人公の今と過去を行ったり来たりしながら、少しずつ謎が紐解けていくストーリー…ではない。
謎は全く解けない。
過去に何があったのか?それをひたすらに突き詰めていくような、サスペンスドラマのような作りだと思った。
そして謎は解けず、疑問、疑念が最高潮に高まった終盤で、一気に謎の答えが解放される。
しかし、最後に一粒、一欠片残る根源的な謎。
謎ではなく、問い、の方が正しいか。
全体的には切なく、哀しい物語である。
しかし終盤の畳み掛けるような、濁流に身を任せるような異常なスピード感の中で、淡々と「出来事としての真実」が語られ、読後に改めて思う。この場合、正しいのは何だったか。誰だったか。この違和感とも言えぬ違和感の正体は…。
それがタイトルとあまりにしっくりくるため、本来の意図と違うところでそう思っているのかもしれないが、私はとても楽しめたわけである。
そして誰もいなくなる
どういった趣旨の本かはすぐわかる。
私はアガサクリスティーを知ってはいるが、そして『そして誰もいなくなった』のタイトルも聞いたことはあるが、実際に読んだことはなかった。
推理小説と言えば学生の頃赤川次郎を何冊か読んだ程度で、あとは読んだ小説がたまたま推理小説だった、というものがほとんどである。
この話は、どこか日本ぽくて、どこか日本ぽくない。学芸会や文化祭を思い出し、あぁそうだった、いやこうじゃなかった、などと記憶を辿りながらこの話の世界観を創造していくのはどこか楽しくもあった。
肝心のストーリーだが、期待を裏切らない範囲で、定石を打たれた感じ。ただあまり後味は良くないと感じた。読後時間が経つほど、強くそう思う。恐らく、個人的にであるが、この話はもっともっと哀しい話であって欲しかったのだろう。
オーダーメイド殺人クラブ
何様ですか?を読み、
この本を手に取る。
自分の死を特別なものにしたい。
自分の死しか、特別になる方法がない。
多々共通点はあるが、
全容は全く異なるものになる。
そのタイトル通り、自らの死を
オーダーメイド
することになる主人公がいるが、
その傍らには、常にひとりの異性がいる。
それを静かに決行に導くものとして。
また、学校生活に焦点を当てれば、
こちらはよりリアルである。
誰か1人のターゲットをつくり、皆で共有するイジメを核として、男女の恋愛にまつわるいざこざ、先生の存在といった、いわば環境設定のなかに細かなリアルが散りばめられている。
全体的にオーダーメイド殺人に関してはのっぺりとした印象で、むしろ学園内の出来事の方が事件性が高く、メリハリが強い。それを上手く絡ませながら、オーダーメイド殺人が進んでいく具合だ。
読みやすく、面白かった。
自分を俯瞰してみることの難しさ。